「あるがままに受け入れる」。そしてひたすら坐禅を修行する。
私がこの本から学ぶことができたことは、ただそれだけでした。
鈴木俊隆(著)/ 藤田一照(訳)
『〔新訳〕禅マインド ビギナーズ・マインド』
(株式会社PHP研究所, 2022)
改めまして、みなさんこんばんは。
さて、本書は世界24か国以上で翻訳された、禅の入門書であり
「禅の世界的名著」と称されています。
スティーブ・ジョブズ氏も、かつてこの本に夢中になり、大きな影響を
受けたとのこと。
しかし、読み終わってみてもさっぱりわからない。
この本の教えも難しいし、そしてジョブズをはじめ外国人がこの本を読んで、
何を感じ、どう活かしたのかがさっぱりわかりませんでした。
でも、そもそも「理解する」必要があるのでしょうか?
私たちは、とかくすぐに「答え」を求めたがる。
とにかく「理解したい」と躍起になる。
でも、「わからない。理解できない」こともまた一つの「答え」なのかも
しれません。
「あなたのことはよくわかっている」「あなたのことが理解できない」と
いうセリフをよく耳にしますが、そもそも自分のこともよくわからないのに、
どうして他人のことを理解することができるのでしょう。
わかろうとすることが大事なのか?いえ、きっとありのままを受け入れられるかどうか
なのではないでしょうか?「理解できない」ではなくて「受け入れられない」といったところでしょうか?
本書を取り上げた理由は、イノベーションを起こしたジョブズ氏のことを少しでもいいので
理解したいという思いもありました。彼のマインドが知りたい、ヒントになるかもしれないと。そして、日本の文化にどんなヒントがあるのか知りたかった。
けれど、本書を読み進めても全くわかりませんでした。
そこで、検索してこんな記事を見つけました。
<スティーブ・ジョブズと禅—世界が注目する禅の実践効果>
https://www.nippon.com/ja/views/b06101/
この記事を読んで、彼が禅に傾倒した背景を少し知ることができました。
本書は、何度もこう記します。
坐禅をすることで何かを得ようと求めるのではないと。そして悟りを開くことが
目的ではないと。
ただひたすら、坐禅に励むことを奨励しています。
私はそれでも、禅から何かヒントを得ることができないだろうかと必死でイメージを
してみました。
私がイメージしたものは、いえ実際に坐禅をしたわけではないので空虚な妄想かもしれませんが、目を閉じて想像力を働かせると、そこには「空間」が広がるような感覚がありました。
日本人が馴染みのある言葉として「場」の方がより近いのかな?
私たちは、何もない空間を「場」としてとらえることができるのではないでしょうか?
私の場合、座戦の修行は全く経験がありませんが、今も毎朝水回りの掃除を欠かさず
続けています。何も特別なことではなくなりました。
ただ当たり前に体が動く。その間の感情は「無」に近いかもしれません。
気が付くと終わっています。
磨いたものが美しくなるだけではないのです。
「場」が清められるのです。
汚れていたり、散らかっている空間は何となく居心地がよくありません。
「場」がよくない雰囲気を醸し出すからかもしれません。
禅の世界観の中に、私は「場」というものをイメージしました。
そして見えない「場」には、たくさんの人とのつながりを感じます。
私たちは、単にその「場」にただ存在しているだけ。
話が突然飛躍しますが、この「場」と言うものが、私には「インターネット」の
世界観に通じるような気がしています。
ジョブズ氏が開発した「i-pad」や「i-phone」が、まるで私たち個人が
自由に場所を移動して禅の世界に通じることができるように、
手のひらサイズで世界につながる機器として生まれたのではないかと、
そんな憶測が思い浮かびました。
事実に反するかもしれませんが、私なりの解釈です。
禅の世界は、奥深いですね。
理解はできませんが、受け入れてみたいという気持ちはあります。
もう少し先かな。
みなさんはいかがですか?
さて、次は「クオンタム思考」を読んでみたいと思います。
プロジェクトXも、三枚目を入手しました。
こちらもまたご紹介したいと思います。
なんとも奇遇なことに、今鈴鹿8時間耐久レースが開催されているとか。
テレビ中継も決定したとか。もう終わったのかな?
青春18切符も発売されたとのことなので、三重県まで行ってみたいのですが、
中々そうもいかず。
みなさんは夏休みのご予定はありますか?
楽しい夏休みになるといいですね。
それでは、また。