みなさん、おはようございます。
といっても、まだ夜は明けておりません。
モーニングページも日記帳も書き終えて、空っぽの状態なので
今日は余談は省いて早速本題に入りましょう。
今回、改めて『知識創造企業』(野中郁次郎・竹内弘高(著))の第2章を
読み直しました。
理由は、「知識とは何か?」について、もう一度本書から学びなおそうと
思ったからです。
一度読んだときは、この章に書かれていることがちんぷんかんぷんで
全然わかりませんでした。
そして、2度目に読んだときは、この章の功績がよくわかりました。
すばらしいサーヴェイでした。
要点から言うと、この章では、西洋と日本の「知識」についての
考え方の違いについて書かれているように思います。
西洋は、デカルトの二元論、すなわち人間を「精神(心)」と「物体(身体)」という
異なる2つの実態に分けてとらえる哲学的考え方です。
一方、日本には西洋のように「偉大な哲学的伝統は一つもない(p.38)」のですが、
仏教・儒教・西洋の哲学思想から影響を受けながら形成されてきた
「知」の伝統がある(p.38)というのです。
それは、「主客一体」「心身一如」「自他統一」という三つの特徴があると
著者は言います。
すなわち、心と体は一つ(心身一体)であり、言葉にできない「暗黙知」を
重んじるということのようです。
そして、更に注目すべきは、西田幾多郎氏の「純粋経験」という考え方です。
「純粋経験とは意志の要求と実現の間に少しの隙間もなく、
其最も自由にして、活潑なる状態である。」(p.41)
直接的明証性は、自己が意識主体として自覚して客体から分離する以前の
現実に生きる体験の中でしか実現しない、と西田は信じたのである。(p.42)
AIの見解によると、この主観と客観から分かれる前の経験そのものの状態
こそが、暗黙知が生まれる究極の瞬間ではないか?と。
なかなか抽象的な話で、難しいですね。
このことをもっと具体的にイメージするために、西岡さんの話を読もうと
考えたわけです。
その前に、次回は西田幾多郎氏に関する本を読んでみようと思います。
私は、要約が苦手なので、色々と読みこぼしがありますので
この記事に書かれていない重要な話は、みなさんご自身で
本書の第2章を読んでください。
二元論の話は難しいので、この記事では深入りはせず、
ただ日本の考え方とはちがうんだよっという程度にとどめておきたいと
思います。
ここは本当に大事な章なので、また読み返してみたいと思います。
本章では、更に「組織と知識」の関係についても書かれています。
結論から言うと、西洋には「組織」を「知識」という視点から
アプローチしてこなかったようです。
これに対して、野中教授らの組織における「形式知」と
「暗黙知」という知識の変換過程のメカニズムを
示したことはとても画期的な研究だったことだと思います。
そこに辿り着いたのは、哲学という、一件経営学とはむずびつかないような
分野を、広く深く掘り下げて「知識とは何か」を突き詰めた努力と着眼点
の鋭さだったのではないでしょうか。
改めてお二人に敬意を表したいと思います。
まだまだりかいが不十分で、足りない議論や誤った解釈を
しているかもしれませんので、皆様におかれましては
どうぞご自分で読んで確かめていただきたいと願います。
それでは、よい週末を!