続投です。
お昼ご飯まで時間があるので、今日はこのへんでと書きながら
また投稿します。
散歩の途中で、ふと昔の記憶がよみがえってきました。
上の子がまだ小さかった頃のこと。
ようやくしっかり歩けるようになって、お出かけが楽しくなった頃のこと。
電車好きなうちの子が喜ぶだろうと、宝塚市にある「武田尾」という場所に
廃線跡があると知り、家族で出かけた時のこと。
意気揚々と電車を降りたとたん、うちの相方が、しまった!サンダルで来てもうた、と。
たぶん足場が悪いだろうからと、靴屋さんを探したものの、まこれで何とかするわと
サンダルのままで向かうことにしました。
ところが、現地について気が付いたことに、懐中電灯を持ってこなければならなかったということを!そっちの方が大事だった!
集まっているみなさんは、それぞれの手に大小さまざまな懐中電灯をお持ちでした。
なんと、下調べしてなかったじゃないか。
いったい私たちは、何をしにここに来たのだろう?
しかも幼い子どもを連れて。
そのまま引き返せばよかったものの、携帯の明かりで何とかなるだろうと前進することに。
当時はガラケーでしたから、乏しい光で真っ暗闇のトンネルの中を足元もを気にしながら
しかも幼子の手をしっかりつなぎながら恐る恐る前進したのを覚えています。
すると、だんだん自分たちの周りが明るくなってきて、あれ?どうしたんだろう?
と思ったら、後ろからみなさんが私たちの足元を照らしてくださっていたのです。
今思い出してもうれしいですね。
幼子を連れていて、不憫に思われたのでしょう。
おひとりだけではなくて、何人かの方々が次々に照らしてくださったように思います。
その時のことを思い出すと、先行きの見えないトンネルの中にいるような世の中ですが
蛍の光のような小さな明かりでも、SNSも各々が世の中を明るく照らせるような記事を書いていけたらいいなと、そんなことを思った次第です。
と、言いつつも、今回の記事は明るい記事にはなりそうにありません。
最近、次々回に紹介する予定の森田真生さんの本も出先で読み進めております。
まだ序盤ではありますが、数学(ここでは「計算」といった方がよいかな)もまた
人間の手から離れて行ったんだなということを認識しました。
数学「も」というのは、以前読んだ本の中で(noteのメンバーシップ用の本紹介)「科学」が
人間の手から離れて制御不能になりつつあるような話を思い出しました。
計算も、というのは幼いころの私たちがそうであったように、人類も最初は指を折って
数えるという、身体を使って計算をしていましたが、やがて紙の上で計算がされるようになり、それが計算機、そしてコンピューターさらには
量子コンピュータへと発展して、ますます人の手から遠ざかっていきました。
そこで思うのです。
「読み・書き・算盤」が大事だと昔から言われ続けてきましたが、
現在の私たちはどうか?
まず最近の世の中の傾向からすると、「読まない」とは言い過ぎかもしれませんが
読書時間が減っている。
生成AIの出現により「書かない」というか書かなくてもよくなった。
そして前述の通り、計算もまたコンピュータに任せればよくなった。
じゃあ、人類はこれからどうなってしまうのでしょうか?
その答えを、これから探していかなければならないのでしょうね。
哲学者への期待が高まっているようです。
私は、この流れがもしかしたら「洗濯機」の出現の時に相当するのかな?
などと思ったりします。
洗濯機のないころは、人々の洗濯の技術・スピードが要求されたのでしょうが
洗濯機の出現によって、それは必要がなくなった。
その時間を他のより生産性の高い仕事に回せるようになった。
だとすると、私たちはまたこれまで以上に生産性の高い仕事を見つければ
よいのでしょうか?
それとも仕事から解放されて、人間らしい営みを送ればよいのでしょうか?
そうすると、「幸福」とは何か?といったことも、考えなければならないかも
しれませんね。
むむむ。難しいことを考えたら、お腹の音が鳴りました。
それでは、また次回。