みなさん、こんばんは。
投稿者の「らん」です。
昨晩のサロンパスのおかげで、今日は手の痛みがほとんど感じられません。
血行を良くする方がいいのでしょうね。
よく散歩中に小さなお子さんを見かけると、つい目で追いかけてしまっていましたが、
最近は親子がやり取りする姿にジーンときます。
自分にもこんな時期があったんだなと。
若かったな。
あの頃の子どもたちは、私にたくさん魔法をかけてくれました。
一緒に滑り台を滑ったり、ブランコをこいだり、砂場でトンネルをつくったり。
おうちでは大きな段ボールハウスをつくったな。
相方は、「ハウルの城や!」と笑ってたな。
私をもう一度子どもに戻してくれました。めいいっぱい一緒に遊んで、笑って。
今は、子どもたちの魔法はすっかり消えてしまいました。
新たに手に入れたのは、魔法のスティックではなく
スマホ。
スマホがあればなんだってできる。
でもネット環境が無かったら、子どもたちは何もできなくなってしまいます。
魔法がなくたって、自分の頭で考えて、自分の手で作るんだよ。
親がもっと教えてやらないといけないことが、まだまだありそうです。
さて、本題に入りましょう。
今、P.F.ドラッカー氏の本を読み始めています。
読み始めて感じたのは、彼がどんな時代を生きたのだろうか?という疑問。
今回は、本紹介の前のメモ書きです。
よかったらお付き合いください。
そもそも、「社会」って何だろう?なぜ「社会」のことを考えないといけないのだろうか?
私が思うに、社会とは、例えるなら「大海」のよう。
明日海がどうなるのかなんて、わからない。
平穏な時もあれば、荒れ狂う時もある。
「社会」を知らずに大海を航海するのは、羅針盤を持たない無謀な旅に等しい。
ドラッカー氏の本を通じて、羅針盤を手に入れられたらいいなと思います。
今回はドラッカー氏の生きた時代について、少し調べたのでここに記録します。
<ピーター・ファーディナンド・ドラッカー>
1909年11月19日(生)~2005年11月11日(没)
オーストラリアウイーン生まれ
ユダヤ系オーストリア人の経営学者
(ウイキペディア参照)
だんと、1世紀近く生きた方なんですね。
そして、この1世紀というのが、世の中が激変した時代だったということも
ドラッカー氏を理解する上で重要ではないかと推測します。
ドラッカー氏が誕生して間もなく、第一次世界大戦(1914年)が勃発します。
二度の世界大戦を経験し、彼が亡くなる2000年初頭というのは、
アメリカで同時多発テロが起き、アメリカのIT不況が世界に波及し、
世界経済が減速した時期だったようです。
(内閣府ホームページ「世界経済の潮流2002年春」参照)
彼が亡くなったのは、2005年。
私が子育てに追われていた時期です。
このブログの読者の方のご年齢によって感じ方は変わると思いますが、
私にとってはついこの間のように思われます。
同じ時代を生きていた、重なる時期があっただなんて、驚きます。
彼は、どのように時代の流れを、社会の変化を見ていたのだろう?
益々興味が湧いてきますね。
さあ、そろそろパソコンを閉じて、本の世界に没入しようかな。
今夜は久し振りに、「新・美の巨人たち」を見たいな。
テレ東さんといえば、しばらく、ドラマ「きのう何食べた?」にハマっていました。
U-NEXTで見てます。
今日の夕飯何しよう?という悩みを見事解決してくれましたよ。
昨日はハッシュドビーフをかけたオムライスにチャレンジして、
上の子が久しぶりに「めっちゃ美味しかった!」と喜んでくれました。
和食ばかりじゃ、飽きるもんね。
それでは、また。