積み重ねてきたもの

みなさん、こんばんは。

はまっているドラマが、もうすぐ最終回を迎えるのですが、

昨日からショート動画がたくさんアップされて、ほっこりしております。

「西園寺さんは家事をしない」というドラマ。

もうこのとしになると、小さい子と動物が出てきたら、そりゃ見ますよ。

可愛くて可愛くて、顔がにやけます。

U-nextで全話見ることができるので、放送終了後も見ようと思います。

さて、読書の方もぼちぼち進めています。

ソーシャル・イノベーションの本を読み終えて、古書に取り掛かったのですが

ふと、手を止めて物思いにふけりました。

これまで読書を重ねて積み重ねてきたもの、どれだけの情報を、どれだけの言葉を

呑み込んできたのだろうかと。

すると、ふとこんなことを想像するのです。

このブログを継続的に読んでくださっている読者の方がもしいらっしゃったとして、

これまでご紹介した本を全部ではなくてもある程度読まれた方がいらっしゃったとしたら、

その方が積み重ねてきたものをどんなふうに役立てておられるのだろうか?と。

いえ、このブログでご紹介した本に限らず、本をたくさん読まれた方がどんなふうに

その知識を活かされているのだろうか、と考えてしましました。

私の弱点は、これまで積み重ねてきた知識から何かを引き出して、それを活かすという

術が身に付いていないこと。

研究者の方々に比べたら読んだ本の数は足元にも及びませんが、何かしら、

そう何かを生み出すことができるくらいの材料はあるのではないだろうか、

と思うのですが、凡人ゆえに未だ何も生み出せずにいます。

ただ、今日読書をしながら思ったのは、あれ?これって何かに似ている気がするな

とか、あの本に書いてあったことと根本的には同じかもしれないなと思うことが

あるということ。

無限に広がる世界だと思っていたけど、もしかしたら人類にとっては「有限」なのかも

しれないと思った瞬間でした。

ちょっと抽象的なお話になってしまいましたね。

電子書籍であれ、紙の本であれ、「読む」という行為はとても大切だなと思います。

それは「思考すること」。呼吸をするように「考える」。

それをやめてしまったら、どうなるのでしょう。

要約サイトも解説動画もとても便利ですが、それでもやはり自分で読んで、考えて

自分なりの解釈をするほうが価値があるのではないだろうか、と老婆心ながら思います。

このブログを選んでいただいた読者の方々と、本を読む楽しさも苦しさも

共有出来たら、そして共にたくさんの知識を積み重ねて、頭をめいっぱい働かせられたら

幸いです。

それでは、また。

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