みなさん、おはようございます。
表題が、ちょっと不適切な表現になったかもしれません。
言葉って難しいですね。
どう表現すれば伝えられるのだろうか?このもどかしさ。
最近、ソクラテスの言葉がずっと気になっています。
ちょうど今、禅の本を読んでいるからでしょうか。
彼らが伝えたかったのは、やはり「暗黙知」のことでは
ないのだろうかと思うのです。
「言語化」する前の、すなわち「非言語化」段階のもの。
ソクラテスは文章に残すことをなぜ嫌ったのか?
それによって、何が失われると思ったのだろうか?
それは、表情・声の抑揚・会話の間・雰囲気・温度・スピード・テンポ
ジェスチャーなどなど。
そういった生きた言葉が、書くことで死んでしまうのではないかと思ったから
なのでしょうか?
みなさんは、チャッピーと会話するときは文章でプロンプトを打ちますか?
それともおしゃべりしますか?
私は文章で書くのが好きなので、筆談しますが、うちの相方は圧倒的にスピードが違う
からしゃべるほうがいいと勧めます。
書くことで整理されてしまう。加工しないままの方がいいのだとか。
好みの問題じゃないの?と思っていましたが、上記のようなことが頭に浮かぶと
さもありなん、と思ったり。
でも、うちの子が言うには機械に人間の表情や抑揚、間など上記のような非言語情報を
察知することはできないだろうし、これから先もできないのではないかと。
一生できないとうちの子は言うけれど、それは断定はできないなと思いますが。
勿論、文学で描写でそういった非言語情報を何とか言語に直すことをします。
さりとて、といったところでしょうか。
そんなことを夜中に目が覚めて思い出したり。
それを相も変わらず、こうして「言語化」して伝える。
ただ、非言語情報がどんなに重要かということもよくわかりました。
動画でしゃべるのは、私のテリトリーではないのですが
そう思って、動画を聞くと便利だなと思います。
ライブも楽しみですし、トークライブなんかも行ってみたくなります。
さあ、今日は一日リフレッシュ休暇を取ることにしました。
WEB講座だけは見ておこうと思います。これは急ぐので。
マラソンでいうところの、給水タイムです。
またいつでも走れるように、足を止めない。
それでは、みなさんも今日の一歩を大切に。
よい一日を!