みなさん、こんにちは。
梅雨明け前だというのに、猛暑でした。
長時間の散歩には、危険な暑さ。
うっかりマイボトルを忘れてしまい、自販機を意識しながら歩いておりました。
そんな中でも、「私はなんで文系に進んだのだろう?」とその答えを探していました。
ふとよみがえる記憶。
実家の家業で、我が家にはいろいろな人の往来がありました。
それこそ問題解決を求めて訪れる人、業者の人。
玄関が一つしかなかったので、学校から帰ると「ただいま~」ではなく、
「こんにちは」と訪問客に会釈と挨拶を交わす。
常連の方であれば、「お帰り。学校はどうだった?」と声をかけてくれる。
それが当たり前でした。
友人のおうちにお邪魔すると、「ただいま」「お帰り」という普通のやり取りが
うらやましかったのを覚えています。
それが、いつの間にか染みついていたのでしょう。
人に関心があった、社会に関心があった。
そして文系に、社会学に興味を抱き、社会の問題解決に関心を持つようになったというのが
きっと答えだったのでしょう。
最近ある人が、サン=テグジュペリ作『星の王子様』の中から引用した言葉を最近教えてくれました。
子どもが幼いころに、フランスのお土産でフランス語版の本を買ってもらったのですが、
もちろん読めず、最近翻訳版を買いました。
時間があれば読んでみようと思います。
サン=テグジュペリ(作)/内籐 濯(訳)『星の王子さま』
(岩波書店,2021年, ¥640+税)
この著者がどういう人だったのか、彼がどういう状況の中でこの本を書いたのか、それを
知るとなお一層この本の深さがわかるそうです。
私はまだ出だしだけ読んでみただけですが、気になる箇所だけ少しご紹介しますね。
「いまぼくがみているのは、単なる入れ物にすぎない。
本当に大切なものは、このなかにはいっている目には見えない何かなんだ」
「・・・目で見ても、大切なものは見えないよ。ハートで見なくちゃ」
(『星の王子さま』より)
まだ『ナレッジ・イネーブリング』に戻れていないのですが、『数学する身体』を
読んでから、ふとこの言葉が頭をよぎりました。
「暗黙知」は、目に見えない。数式ではなく「心」で見なければならないのではないかと。
そして『ナレッジ・イネーブリング』も、安易に数理モデルに頼るだけではいけない。
「心」の目で見なければ。
「暗黙知」は「暗黙知」のままで。「知識」も「心」も「ハート」で見なければならない
のかもしれません。
私が理系ではなく、文系を選んだ意味はここにあるのかもしれません。
『ナレッジ・イネーブリング』はゆっくり「心」の目で「ハート」で読んでみます。
そして、私は「この人すごい!」「この人の思考が気になる!」という人を見つけて
紹介したいのでしょう。だからブログを続けているのかもしれません。
もう少しで、ブログを始めて一年。
たくさんの本と出会い、本を通じてたくさんの著者を知りました。
実は何人かに仲介してもらうと、もしかしたら著者に接触できるかもしれない
方も中にはいらっしゃるんです。
でも協力を得るのがとても難しい。
そして私はいわば覆面レスラーのような存在ですし。
ああ、これはもう夢ですが、いつか著者にお会いしてインタビューしたいです。
やはり七夕かな。
それでは、また。