<数学する身体(感想)>

みなさん、こんばんは。

気に読みました。

たくさんラインを引きました。素晴らしい本でした。

私の周りでは、生成AIへの関心が高まっていて、実際生成AIでこんなことが

できるんだと、見せつけられているのですが、みなさんはいかがですか?

街を歩けば、何ら変わらずいつもと全く同じ風景。

ご近所さんと立ち話をしても、全くそんな話題にはなりません。

どこか遠い世界のような話。

でも、きっと新しい世界はもうすぐそばまで来ているのでしょう。

生成AIがイノベーションと深く関係しているのだろうとは当然のごとく

予想されるのですが、そこに「数学」も関係するのか。

直感でこの本を選びましたが、この本に重要なヒントがあるように思います。

改めまして

森田真生(著)『数学する身体』

とても重要なことが、たくさん書かれていたので、詳細に書き記したいところですが、

ここはぐっと抑えて、ザクッとお伝えしたいと思います。

数学の歴史は、身体能力を拡張するものとして出発し、

やがて記号と計算の発達とともに抽象化の極致へと向かっていきます。

著者は、そうした数学の歴史を見直す中で、アラン・チューリングと

岡潔という二人の巨人へとたどり着きます。

全く対照的な二人ですが、著者はこう綴ります。

「ただ、二人の間には重要な共通点がある。それは両者がともに、

数学を通して「心」の解明へと向かったことである。」(p.186)と。

そして、「チューリングが心を作ることによって心を理解しようとしたとすれば、

(人工知能のことを指しているのだと思われます)、岡の方は心になることによって

心をわかろうとした。チュウ―リングが数学を道具として心の探求に向かったとすれば、

岡にとって数学は、心の世界の奥深くへと分け入る行為そのものであった。(p.189-190)

人工知能は、やがて人間の「心」の探求に向かうのかもしれません。

作者はこう言います。

「私たちはもはや、数学とは何か、という疑問を真剣に考察することを避けては通れないのである。」(p.179)と。

「数学する身体」、もしこの「身体」が人間だけでなく、人工知能に「身体」が加わったなら。SFの世界がもし現実になったら。身震いを覚えました。

著者が本書を通じて、私たちに投げかけるように、私たちはもう待ったなしで「知識」とは

何か、「数学」とは何か。そして「心」とは何か、真剣に考えなければならない時が来たのだと思いました。

さあ、『宇宙兄弟』一巻も読み終えました。

ようやくペースが戻ってきたので、また『ナレッジ・イネーブリング』に戻ろう

思います。そして、できるだけ早く「マインド」に移らなければ。

それでは、また。

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