「情報産業論」~未来への道しるべ~

みなさん、おはようございます。

夜明け前ですが、日中の我が家はエアコンの効きがよくなくて

この時間の方が書きものをするにはいいかなと思い

パソコンに向かっています。

みなさんは、夏バテしていませんか?

先日上の子が、旅行のお土産を持ってふらっと

帰ってきたので、早速プレイリストのつくり方を

教えてもらいました。

みなさんはとっくにご存知だと思いますが、

一応情報共有しますね。

動画下の「いいねボタン」の並びの最後の方に

「保存」というボタンがあって、そこをクリックすると

画面下に「再生リスト」の作成画面が出てきます

新規でタイトルを付けて、フォルダーに保存する要領で

好きな動画を選んで再生リストを作っていくようです。

わたしはアンドロイドを使っているので、iphoneは違うのかな?

早速「summer」という再生リストを作りました。

歌詞あり、歌詞なし両方の。

再生リストを作るのって楽しいですね。

気分転換に作っています。

さあ、そろそろ本題に入りましょう。

今回は長くなると思いますが、よかったら最後までお付き合いください。

実は昨日本書を読み終わったのですが、どうも頭の中でまとまらない。

一晩寝たら整理できるかなと思ったのですが、あまり変わっていません。

最近あまりウォーキングできてないからだな。

必死に頭を回転させながら、書いてみようと思います。

今回ご紹介するのは

梅棹忠夫(著)『情報の文明学』(中央文庫, 2015年, ¥686+税)

本書には、「情報産業論」、「情報の文明学」、「情報の考現学」の3つの

論文と、インタビュー記事や講演などが編集されています。

まずは一言感想を言うならば、ただただ「悔しい」です。

「情報産業論」という、画期的で先駆的な論文が

せっかく我が国で生まれたにも関わらす、

IT産業に後れを取ってしまったのがとても残念で悔しいです。

梅棹氏の論文、考えをイノベーションに結びつけていれば、

日本が世界をリードしていたかもしれません。

ちょうど「パラダイム」のことを学んだばかりだったので、

当時の人々が、にわかに「情報産業論」を受け入れがたかったとしても

それを認識の遅れだと非難することはできません。

さて、前後しますが改めて梅棹氏のプロフィールと

「大阪万博」との関係を見ていくことにしましょう。

梅棹 忠夫 氏

京都大学理学部卒業

京都大学人文科学研究所教授

国立民族学博物館長を経て

同館顧問・名誉教授

以前、ブログでご紹介した「小松左京」氏との親交も深く

同氏の『SF魂』にも梅棹氏のことが書かれていました。

お二人は、「大阪万博」の「万博博を考える会」の発起人のメンバーだったようです。

(参考資料)

小松左京氏、梅棹忠夫氏らが万博で示した先見力 1970年に「持続可能性」提唱 – 産経ニュース

https://www.sankei.com/article/20240413-BKVJAHCJSRKQPKDSEDPDCKFPYY

小松氏にしても、梅棹氏にしても、大変先見の明のある方々であり、

未来を見据えておられたのだとわかります。

ところで、みなさんは「情報」と聞くと、何を思い浮かべますか?

「IT産業」?「マスメディア」?

梅棹氏は本誌で、以下のように定義をしています。

情報産業における情報ということばは、人間のコミュニケーションの

内容をなすもののいっさいをさしているのです。

だから言語情報、文字でつたえられる情報もあるし、スピーチでつたえられる

情報もある。あるいは音楽でつたえられる情報もあるし、写真、絵画、

そのほかさまざまな伝達機関でつたえられる情報もある。

そういったものをひっくるめて情報とよんでいるわけなのです。」(p.123)

確かに、そういわれると、インスタグラムや動画、音楽配信も情報と言われれば

納得できますよね。

それは、今それが実現しているからでしょう。

「情報産業論」が発表されたのは、なんと1963年のこと。

ようやく民間テレビ局が始まって10年ほどたったばかりだというのですから

まるで梅棹氏は21世紀にタイムスリップして未来を見てきたのではないのかと

疑ってしまうほどです。

梅棹氏はどのようにして予見したのでしょうか?

梅棹氏の、驚くべき発想が根底にあるようです。

人類はこれまで3つの革命を経験してきました。

第一は「農業革命」。第二は「産業革命」そして第三が「情報産業革命」。

それを受精した卵細胞に例えるなら、「内胚葉・中胚葉・外胚葉」だと。

その詳細は本書をお読みいただきたいのですが、

なるほどと腹落ちするばかりです。

私たちが今、まさに「モノ」から「コト」へと欲求が変化していることを

なんと60年前に予測されていたのですから、

日本はもっと早くに産業転換の舵を切ることができたはずなのです。

とはいえ、終わったことを悔しがっても仕方がない訳ですが、

本書から何を学ぶことができるのか。

やはり、いかに「先見の明」を持てるかということではないかと

思うのです。

そのためには、梅棹忠雄氏や小松左京氏といった人物がどのような

経験をされたのか、どのようにその考えに至ったのか、

その経緯を残された文献から辿っていくことではないかと思います。

日本が明治維新で、日本の根っこを捨ててしまったのかもしれませんが、

戦後の焼け野原から復活した日本で新しく根っこが芽生えたのではないかと

思うのです。

だから60年代から70年代の文献を読み漁ろうとしている次第です。

本書の最後に、高田公理氏(武庫川女子大学教授)の解説が載せられています。

このように記されています。

「こうしてみると本書の著者こそは、人類文明史における三つの大転換を

思想化した三人のひとりだということになる。」(p.314)

一人は『国家論』の著者であるプラトン、『資本論』のカール・マルクス

そして『情報文明学』の著者梅棹忠夫氏であると。

日本からこれほど素晴らしい研究者、そして論文が誕生したことを

私たちはもっと知る必要があるでしょうし、もっと自信や希望を持っても

いいのかもしれません。

私は、ひょうんなご縁で梅棹氏の名前だけは存じておりました。

すごい方のようだとはなんとなく思ったのですが、

今回ご縁があって本書を読む機会に恵まれたこと、

そしてどれほどすごい方だったのか知ることができて大変よい

経験をいたしました。

また余裕ができましたら、他の著書も読みたいなと思います。

余談になりますが、我が家のソファー横の古書が積まれたサイドテーブルを

眺めながら、私がしみじみとつぶやいた言葉があります。

こんなに素晴らしい本が、なぜ絶版になっていくのだろうか?

先人たちが残してくれた大切な遺産を、引き継がないのはもったいないし

この国の未来はどうなるのだろうかと。

するとうちの相方が、君はブログでこういう本があったことを伝える

ことができるし、もしかしたらそれを後世に残せるかもしれないじゃないかと。

そんな、重責を担う自信もないし、そんなにたいそうなブログでは

ないのですが、少し背筋が伸びたような気がしました。

梅棹氏の語り口も快活で、偉人でありながらも気さくな方だったのだろうか?

などと想像しながら、とても読みやすくわかりやすく書かれた本でした。

私たちができることは、こういった本を後世に残していくこと、語り継いでいくことでは

ないかと思います。

よかったら、是非一度手に取って読んで見られてはいかがでしょうか?

さて、次回は再び「商店街」。

商店街というと、どうしてもネガティブな意見と楽観的な意見とはっきり

二分するテーマだと思います。

現実的な問題から目をそらすことなく、それでもやはりその魅力と効用

にも期待しつつ見ていきたいと思います。

実はもうすでにスタートを切っているのですが、アイデアの玉手箱といった

感じで、どんどんアイデアが紹介されてワクワクしておりました。

さあ続きはどうなるのだろう?

それと、長くなりますが「SpringX 超学校」の方も興味深い講義があるようです。

「超小型衛星「キューブサット」生みの親/どこまで広がる宇宙開発?!

東京大学の中須賀教授」

そういえば、私がまだ幼かったころ絵画を習っていたのですが、

コンクールで賞を頂いたのが、宇宙の星に大きなロボットが立っている絵だったと記憶しています。

今思うと不思議な絵なのですが、私の記憶ではなぜか「宇宙」と「ロボット」の絵を

好んで描いていたなと思います。

なんだか実現しそうな夢ですね。

さあ、それではアイスコーヒーを作って勉強モードに切り替えます。

よい週末を!

カテゴリー: イノベーション, 問題解決 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です