続投です。
今朝ふと鏡を見ると、びっくり!
しまった。日焼け止め塗るのをすっかり忘れていた。
思いっきり日焼けしてました。黒い。
どうしようと、あたふたしております。
シミ対策をしなければ。
さて何しろ数年ぶりの旅行で、ブログでどんなふうに紹介しようかと
頭を抱えておりました。
旅行Vlogを見ると、みなさん楽しそうに紹介されているのですが、結構難しいですね。
ということで、参考になるかはわかりませんが、今回の旅行の日程と訪れた観光スポット
のご紹介といきましょうか。
1.新大阪駅出発→広島駅へ(初日)
お盆休み初日ということで、新大阪駅もたくさんの旅行客であふれていました。
広島へ行くなら、博多行きに乗るより広島止まりの新幹線に乗る方が空いてるんだと
相方の機転で、確かにホームの込み具合がましのようでした。
お昼前には到着するので、少し軽めに新幹線の中で昼食を取りました。
2,広島駅到着→呉へ
荷物が重かったのでロッカーに預けたかったのですが、どこもいっぱいで断念。
JRで呉まで向かいます。行き先は「大和ミュージアム」
待つことなく、すぐに入館できました。
「大和ミュージアム」の感想は、いろんな感情が沸きあがってきて表現しづらいです。
広島といえば「平和記念公園」「原爆ドーム」に訪れる方が多いと思いますが、
「大和ミュージアム」もまた戦争と平和について考えさせられる場所だと思います。
ここでの思いは、自分の心の内にしまっておこうと思います。
ただ、「技術革新」の歴史を知るという意味では、とても貴重な資料を見ることができました。
明治維新から100年足らずのうちに、日本はこんなすごい技術水準に達したのだという
驚くべき事実を改めて知りました。
巨大な鉄の塊が海に浮かぶのですから。
ミュージアムの最後に、「船をつくる技術」というコーナーがあり、
船には最新の科学技術が搭載されているという説明が書かれていました。
戦艦の技術が、現在にも活かされているのでしょうね。
ミュージアムをあとにして、近くの「てつのくじら館」も訪れました。
なんと、本物の潜水艦のなかにも入ることができました。
なぜか妙に緊張感がありました。
3.呉から宮島へ
呉を後にして、いよいよ宿泊先の宮島へ向かいます。
再びJRで広島に向かい、乗り換えて「宮島口」へ
「宮島口」からは船で「宮島」へ向かいます。
こんな時期だったので、緊張して写真を撮ることができませんでした。
でも、赤い鳥居が見えたときは、感動しました。
ずっと行きたかった憧れの「宮島」。
思ったより船で往来する観光客が多かったです。
海外からのお客様もたくさんいらっしゃいました。
島に着くと、穏やかな空気が流れていました。
鹿がそこかしこに歩いていて、奈良の鹿と違って大人しい。
私たちの宿は、海沿いに面して、船場から割と近くにありました。
夕食は、名産の「あなご」や「カキ」「広島牛」など
どれも美味しくて幸せでした。
お昼を軽めにして置いたおかげで、完食できました。
4.宮島から新山口へ(2日目)
潮が引くのは翌朝の7時半とかで、私は宿に残ったのですが
相方とうちの子が厳島神社へお参りに行きました。
そういえば、夜も2人でナイトクルーズに出掛けていました。
怖いもの知らずです。
朝食も美味しくいただき、名残惜しいもののすぐに出発。
子どもたちはお土産をたくさん買っていました。
そう、気になったのが「熊野筆」。
ん-、お高いですね。迷ったのですが、ネットでも買えるので。
かんざしも名産だったのか、友達に買えばよかったなと後悔。
また来よう。
帰りも連絡船で「宮島口」へ。
広島駅へはゆっくり広電に乗って、街を見ながら行こうということで
街並みをながめながら、駅へ向かいました。
途中平和記念公園前に停車したものの、原爆ドームがどこにあるのか
見つけることができませんでした。
5.広島駅から新山口へ
広島駅で、ばったり相方の知人に会いました。
なぜか記念写真を。
今の若い人は写真を撮る時、何っていうんだろう?
子どもたちは「チーズでいいんじゃない」といったけど。
広島駅から新山口まで新幹線で。
あっという間でした。
新山口からはレンタカーで移動。
宿泊先は湯田温泉。美人の湯です。
その前に、合格祈願。
防府天満宮へ。
ここで、相方が「山口大学のRESERCH LAB NOTEBOOK」という
研究ノートを買いました。
KOKUYOさんのノートです。
ちょっと高かったですが、これは良さそう。
特許を書く時にも役に立つそうです。
夕方には宿に着いたのですが、ここは今まで宿泊した中でも
特によかったです。
許可をもらっていないので、ホテル名も写真も載せませんが。
創作料理でもてなしてもらいました。
温泉のお湯がとろーっとしていました。
3.いよいよ萩へ (最終日)
ハードスケジュールで、もっとゆっくりしたかったのですが
早々にレンタカーで萩へ向かいました。
萩もずっと行ってみたかった場所。
一番の楽しみは「萩焼」を買うこと。
そして吉田松陰ゆかりの地へ。
松下村塾
明倫館
松陰神社と、松陰の伯父さんの生家、そして松陰のお墓と松陰の生家跡地へと
暑い中歩き回りました。
松陰神社の中に松下村塾があります。
神社を後で建てたのかな?
「吉田松陰歴史館」に入館して、松陰の生い立ちと生涯を知るのですが
知らないことがたくさんありました。
「和魂洋才」の佐久間象山にも教えを受けていたとか。
他にも書き出すと長くなるので、また何かの機会に。
生家やお墓参りまでしたので、急に親近感がわいて
旅行後も松陰の最後の話を読んだりすると、胸が痛みました。
いかん、感情移入しすぎている。
吉田松陰歴史館や明倫館の売店では、松陰語録など
ここでしか買えない珍しい本を入手することができました。
私は明倫館で、萩焼の豆皿を購入しました。
萩焼といえば薄いピンク色かと思いきや、水色の器がありました。
大事に使いたいと思います。
ここでの「技術革新」は?
「長州ファイブ」はご存知ですか?
伊藤博文をはじめとする、長州藩の5人の若者が密航して
イギリスのすぐれた技術を学びに行ったそうです。
これも詳しくはまだ本を読まないとわからないのですが
明倫館で
『長州ファイブ物語 -工業化に挑んだサムライたち―』
という本を購入しました。
今回は伊藤博文氏の生家を見ることができなかったのですが、
知られざる伊藤博文氏の行動力を知ることができました。
イメージと違うな。
とにかく萩は興味深いです。
次回はゆっくり巡りたいです。
萩へは交通のアクセスが不便で、やはりレンタカーがお薦めのようです。
地元の方にお聞きしたのですが、萩はこれまで災害にあったことがないと。
そのため古い建物が残っているのだとか。
それを聞いて、移住したくなりました。いつか。
その他反射炉とか城跡もめぐりましたが、疲れたので私は車中で。
ようやく旅の目的も果たして、いよいよ新山口駅へ。
帰りの新幹線を待つホームで、懐かしの500系を見ることができて
嬉しかったです。
新大阪へ到着。
新大阪から新山口まで、思ったほど長くなかったです。
まあ、なんて長い記事になったのでしょう。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
この旅の魅力が存分にお伝えできていないと思いますが、
百聞は一見に如かず。
よかったら、ご参考に。
それでは、よい週末を!