みなさん、こんにちは。
何か月ぶりの本紹介になるのだろう?
えっと、どうやって書いてたっけ?
調子を取り戻せないでいるのですが、頑張って書いてみます。
今回ご紹介するのは
池内 了(著)『江戸の好奇心花ひらく「科学」』
(集英社新書, 2023年, ¥1,100+税)
著者の池内氏は、天文学・宇宙物理学者で、名古屋大学名誉教授とのことです。
著者のプロフィールを読んで驚きました。
歴史家の方だと思っていたので。
近代科学の研究者が江戸時代の前近代的な科学とよべるのかどうかすらわからないものについて、研究されたのがとても意外であり、その感性に感服いたしました。
本書を読み進めるうちに、ふと、この本を思い出しました。
森田真生(著)『数学する身体』(新潮文庫)
岡潔の「情緒」という言葉を。
そして、岡潔と対比するアラン・チューリングのことを。
岡潔の情緒は、なんとなく江戸の人々の純粋な好奇心・探求心を
イメージさせ、チューリングは、まさに近代科学の「合理性」の追求を
イメージさせます。
前者は温かさを、後者はどこか冷たさを感じます。
江戸の人々は、学問を学んだわけではなく、純粋な好奇心と遊び心で
色々な物を作り出していたようですね。
それは、まるで就学前の子どものようにも思えます。
理屈で考える前に、経験する、試行錯誤を試みる。
今の時代から見れば、くだらないと思うことにも熱中する。
これが、現代の日本人に失われた感性なのかもしれませんね。
泰平の世に、鉄砲の需要が減れば、鍋などの調理具に転用し、
火薬は「花火」へと転用される。
その柔軟性もまた、魅力です。
こうした江戸の人々の好奇心が、海外からの新しい技術や科学を
貪欲に取り入れて、独自の技術に変容するのに適していたということが
わかりました。
近代文明を取り入れた一方で、こうした江戸の感性が失われたり
「和算」のように、途絶えてしまったものもあるというのは、
非常に残念に思います。
それでも技術者だった父を思うと、少しは好奇心と海外技術への関心は引き継がれていたように思います。日本の高度成長時代をけん引した技術者にはまだ、そうしたDNAが引き継がれていたのかもしれません。
くだらないこと、損得勘定を抜きにした遊び、そして既成概念にとらわれない柔軟な発想。
いたずら心。
日本人は、もう一度取り戻すことができるのでしょうか?
それは学問から少し離れて、子どものように無垢な心で物事に接する
必要があるのかもしれませんね。
さあ、次回は
『芸術的思考は脳のどこから産まれるか?』(大黒達也 / 光文社出版)
を読んでみようと思います。
難しそうですね。
この本を読んだら、勉強方法についても役に立つ情報がもらえるとよいのですが。
それでは、よい一日を!