日本の「知」

みなさん、こんばんは。

投稿は週明けにします、と言いながら、単調作業に疲れたので

今晩のうちに記事を書きあげることにしました。

今回ご紹介するのは

梅棹 忠夫(著)『知的生産の技術』(岩波新書,2023,¥880+税)

梅棹氏の本を読むのは今回で2冊目になります。

前回は『情報の文明学』(中央文庫)でした。

今回2冊目の本を読みながら、益々梅棹氏の書く文章に魅了されました。

本書の中でも書かれていましたが、読書を「食」に例える人がしばしば

いるとか。

確かに私もそれに近い感覚があるかもしれません。

滑らかな緬のように、つるっと読める文章。

この文章は、呑み込みづらいなとか。

少食のフードファイターという言葉も以前使いました。

梅棹氏の文章は、読めば読むほどに旨みを増すとでもいうのでしょうか、

とにかくまた次の本を探したくなります。

本書について書く前に、少し予備的な情報を共有したいと思います。

少し前にご紹介した『特集1970、梅棹忠夫が見ていた未来』(季刊民俗学・千里文化財団)

の中に書かれている一文を引用いたします。

梅棹氏は、

「明るいペシミスト」を自称し、人類はなるようにしかならない、いつまでも繁栄する

はずがない、と虚無的で突き放した見方をしていたが、一方で知の追求だけが人類の

栄光であり、そこに希望を見いだせるのではないか、と考えていたのだろう。

そして、それを支える技術として、『知的生産の技術』を提唱したのではないだろうか。

(『特集1970、梅棹忠夫が見ていた未来』(季刊民俗学・千里文化財団)本文より)

『知的生産の技術』は確かに「技術論」だけではなく、ある種の「思想」が

書かれていたのではないだろうかと思います。

また梅棹氏の思考・アイデアがどのように形成されていったのか、

そのヒントを伺い知ることができるのかもしれません。

本書は「知的生産」に携わる読者に向けて書かれていますが、

生産活動に携わる人だけでなく、情報社会に生きる私たちに

多くの知的生産技術を教示してもらえます。

この本に、もっと早く出会えてたらよかったと後悔しますね。

大学生の方々には、是非お勧めしたい一冊です。

本書の前半は、梅棹氏の言葉を借りるなら

「書くべき内容のためのための素材を蓄積する技術」

後半は、それらの断片的な素材を使って、

まとまりのある考え方や文章を構築する技法

「こざね法」を提案しています。(p.220)

ここまでに、川喜田二郎氏の『発想法』を読んだのですが、

梅棹氏の情報カードの使い方、「こざね法」も実に

ユニークな発想だと思います。

ここで、これらの方法が単なる分類・整理法だと

認識するのは正しくない。

梅棹氏が曰く

「知的財産の目的は分類ではない。

分類という作業には、あらかじめ設定されたワクが必要である

既存の枠に素材を分類してみたところで、なんの思想も出てこない。」

思うに、分類をする自分に、なにがしかの「思想」を持っていることも

必要で、また固定概念にとらわれない思考の柔軟性も必要ではないでしょうか。

本書の最後に梅棹氏が提言した国語の授業の話が、斬新な発想で

これからの時代に是非実現してほしいと思いました。

こういう発想がどこから生まれてくるのだろうか?

本書を読んでなおわからなかったのが、梅棹氏の「未来を予測する」

眼力でした。

可能な限り梅棹氏のほかの本も読みたいと思います。

本書もそうでしたし、川喜田氏も、実に筆記用具の使い方に

工夫をされ、独自の使い方を案出されていることが意味するのは

何だろう?

この作業は、今のところコンピュータではできないのではないでしょうか?

「ひらめき」「直感」を生み出すシステムを、著者たちは発明したのでは

ないでしょうか。

そう考えると文具メーカーさんにも「アイデア」を生み出せるような

「文具」の発明を期待したいところです。それでは、次回は『失敗の本質』を読みたいと思います。

投稿がゆっくりになると思いますが、よかったら

次回のご訪問もお待ちしております。

それでは、また。

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