みなさん、こんにちは。
午前に、やっと映画「大きな家」を見に行きました。
ずっと夕方の時間帯だったので、出づらかったのですが
午前の上映になったと知り、この日を待ちわびておりました。
平日の午前ということもあって、観客は少なかったと思います。
多分女性の方がほとんどではないかな。
どこまで感想を書いてよいのかわかりませんが、第一声は
「この映画を作ってくださってありがとうございます。」と
感謝の気持ちを綴りたいです。
この言葉は、多分ほかの方がコメントされていたと思いますが、
私も全く同感です。
切なさも、哀しさも、希望も、ぬくもりも、そして
いとおしさもあらゆる感情がこみ上げてくる作品でした。
ドキュメンタリー映画としても、登場人物の魅力を存分に引き出しているし、
映像もとても美しいです。
あの子たちがこんなに心を開いて、本音を話しているという驚き。
家族ではなく、兄弟でもなく、友人とも少し違う。
それを言葉で表せないもどかしさ。
それを何とよべばよいのか。
その何ものでもない絆を、それは人を超えた
もっと崇高な次元の関係のように思えて仕方がありませんでした。
同時に、何度も自分の子育てがどうだったのだろうと突きつけられている
ような気持にもなりました。
上の子は、以前こんな話をしてくれたことを覚えています。
学校から帰ってきてた時に、うちに親がいてくれてよかったと思う、
それがありがたかったと。
下の子も、この家に生まれてきてよかったと思う、と言ってくれたことがあります。
え?なんで?
もっと裕福なおうちに生まれてたら、好きな学校にも行けたのに。
親も二人とも変わってるし。
それでも、いいんだって。
なるほど、子どもというのは親がそばにいてくれるだけでいいんだなと
実感しました。
いい親にならないといけないとか、お金を稼いでいい塾に入れて
いい学校に行かせてやらないといけないとか、そんなことは
子どもにはどうでもいいことなのかもしれません。
家事で忙しくて話を聞いてやる暇がなくても、料理が下手でも
仕事で疲れて帰りが遅く、週末はゴロゴロして
遊んでやる時間がなくても、ただそばにいてあげるだけで
子どもは安心できるのだとわかりました。
もっと早くこの映画と出会いたかった。
結婚してすぐに、子どもを授かるのが難しいと診断されて
落ち込みましたが、あの時は施設のお子さんを受け入れたら
いいんだと安易に考えていました。
もしそうしていたらどうだったのだろうかと、この映画を見ようと
思ったのはそんな理由もありました。
きれいごとではない、結局本当の親にはなれないのだろうか?
18歳を過ぎた子の支援のことも念頭にありましたが、
結局帰りたい場所、頼れる人は育った場所であり
育ててくれた人(家族)なんだという現実。
問題は理屈ではなく、「ひと」なんだ。
この映画はいつまで上映されているのだろう?
可能であれば、もう一度彼等彼女らに会いに行きたい。
この映画のことは一生忘れることはないだろうと思います。
人生の中で一番素晴らしいと思った映画です。
たとえそれが切り取られた日常の風景であっても、
彼ら彼女らは現実を精一杯生きている姿が、
そのぬくもりが伝わってくる。
こんなに「ひと」を感じた映画が他にあっただろうか?
よかったらみなさんも劇場に足を運んでみて下さい。
大阪はTOHO シネマ(別館)の方です。
さあ、これから急いでスケジュールをこなします。
その前に焼き芋を食べます。
それでは、また。