みなさん、こんにちは。
なんだかうだうだと過ごしてしまい、まだ勉強を一つしか片付けていません。
お昼は、小さなピザを焼いています。
ホームベーカリーで、生地をつくりトッピングはトマトソースにハムとチーズ
もう一種類は、トマトソースにちりめんとしそとネギとチーズのトッピング。
ちりめんとしその組み合わせが最高ですね。
午後から気合を入れて勉強します。
さて、ピザをこねながら「知性」について考えていました。
日本に知性という概念は、江戸時代まではなかったのだろうか?
蘭学が入ってきて、学問という概念が生まれたのだろうか?
以前本居宣長の記念館で観た資料は、「研究」と言えるような完成度だったように
思います。
今まで読んできた本が、走馬灯のように頭の中で巡り、
もしかして日本人は「感性」が「知性」よりも早く発達したのでは
ないだろうかと思いつくのでした。
日本には「もののあわれ」とか「粋」とか、おそらく他の言語で訳しづらいような
言葉が少なくないように思います。
岡潔は「情緒」という言葉を使いました。
岡潔は、「知性」と「感性」の両方を持ち合わせていた人物だったのでしょう。
現代のわれわれ日本人は、確かに「知性」は多くの人が身に付けたと思いますが、
一方で「感性」は衰えてきたのではないでしょうか。
かのジョブズ氏は、日本の「感性」に目を付けた。
日本が失いかけているもの。「感性」。
これは英語でいう「センス」だけではないと思います。
もっと複雑で、もっと繊細で、日本人のDNAに引き継がれた独自のもの。
言葉では表しがたいもの。
大阪・関西万博には、そうした日本の「感性」を感じることができるのでしょうか?
そろそろ下調べをしないといけません。
さあ、ピザが焼けました。

あれ?私の感性は・・・。
それでは、また。